ちょっと考えてみました

今回は接骨の分野と離れた話です。先日、TVでハンセン病についての特集番組があり、それをたまたま観る機会がありました。正直、私個人はこれまでハンセン病についての知識は「大変な難病だったもの」程度で皆無に等しいものでした。

番組で紹介されたハンセン病の歴史は衝撃的でした。かつては 「らい病」 と呼ばれ、治療法が確立していなかった時代には患者さんたちは家族からも引き離され、隔離された施設の中で一生を終えなければなりませんでした。療養施設はどこも環境が劣悪。狭い部屋に何人もの人々が詰め込まれ、態度の悪い人はほとんど光も入らない独居房に収容され、そこでまた何百日も過ごすことになるのです。命を落とす人も多かったそうです。そう、療養所とは名ばかりで実際は刑務所の囚人並みの扱いだったのですね。

そうした差別的な扱いはそれだけに止まりません。患者さんたちはそのご家族も含め、長年に亘り肉体的にも精神的にも様々に追い詰められ、それを受け入れざるを得なかったのです。これがつい数十年前まで日本の法律によって定められていた国策であり、隠れた近代史の一部だったということに愕然としてしまいました。

不治の病と呼ばれたハンセン病は現在は特効薬によって治る病気となっており、日本では新たな発症者はほとんどいないとのこと。それでも尚、長年の療養生活、差別された生活の中で疲弊しご高齢になられた現在、以前と同様に世間の目を避けた生活を送る方も少なくないそうです。

差別、について改めて考えてみました。人種、国籍、宗教、病気、障害、性、地域・・・人間が営むコミュニティに中には未だに厳然と、差別は存在しています。そうしたものが生まれてしまう背景とはいったい何なのでしょうか。自分自身と異なる相手への不理解、無知、間違った認識が根底にあり、やがてそれが大きな風評となり、特定の人々に謂われなき烙印を押してしまう。そういう負の連鎖を世間が作り上げてしまうものが「差別」なのかな、と漠然と思うのです。私自身、誰に対しても今までそういった気持ちを一度も持ったことがない、と果たして誓って言えるか、自分に問いかけてみました。言えないかもしれません。誰の気持ちの中にももしかしたら違う誰かと線引きをしてしまったことがあるかもしれませんね。ではどうすればそうした差別が無くなる世の中になるのでしょうか。難しいです。私も分かりません。しかしまずこうした事実があったことを1人でも多くの方が「知る」機会を得ること。そして「考える」ことが何より大切なのかと思います。差別を受けた方々の苦しみを全て共有することは出来ずとも、その歴史を後世に伝え、繰り返してはならない教訓として残してゆくことは出来るはずですから。

・・・というようなことを番組を見ながらぼんやりと思っておりました。硬い話になりスミマセン(^0^)

院長:本多

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